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靖国・遊就館へ

火曜日の朝、夜行バスの眠れないシートで痛くなった足腰をさすりながら、早朝から開いている新宿のホテルのレストランでしっかり朝食をとる。

今日はまる一日、靖国神社の遊就館の中にいられる長丁場だから、エネルギーを蓄えておかねば。

JR市ヶ谷駅で下り、靖国通りを歩いていくと、あちこちに「みたままつり」のちょうちんが飾られていてなんとなく華やいだ雰囲気。学生やビジネスマンに混じって神社に向かう人たちもずいぶん多いようだ。

神社に入り、拝殿の参拝は後回しにして遊就館へ。まるで警衛のように入り口にそびえ立つヒマラヤスギの巨木に「また来ましたよ」と目を向け、「子供」がすくすくとわが家の庭で育っていることを報告した。


バッグ類はコインロッカーに預け、体ひとつの身軽になって、歴史の古い部分は端折りながら、日露戦争の展示エリアから丹念に見て回る。イベントの期間中ということもあってか、館内を見て回る人の数もかなり多い。

最近になって設置されたのか、「60分コース」「90分コース」「120分コース」というモデルコースの順路案内表示が出ていた。

だけど、まともにこれらの展示物と向き合うためには、そんな時間ではとてもとても。

一日や二日使ったって、無理にきまっている。

展示品や遺品の向こうに見えるのは、そのひとつひとつが紛れもない歴史の証人であり、有名無名の魂のあり様でもある。

たとえば真珠湾奇襲の際、第一次攻撃隊が艦隊司令部に打電した「ワレ奇襲ニ成功セリ」の電文。

山本五十六司令長官が南雲司令官にしたためた檄文。

硫黄島守備隊の栗林中将が、わが子に宛てた手紙。

東条英機首相が愛用していた眼鏡…。

展示されている、すべてのものが、いったん足を止めたら立ち去りがたい力を持って、見るものに語りかけてくる。





今日は前回パスとなった遺書と遺影の展示ブースにゆっくり時間をかけるつもり。それでもそこへたどり着くまでにもう5時間近くを費やしていた。

いつもなら4時半に閉館となる遊就館もイベント期間中は9時まで開館しているとのこと。そんなチャンスに来ることができたのだから、足が痛いなんて言っていられない。

朝しっかり食べているのでお腹は空かないが、のどが渇いてくるといったん遊就館を出て、能楽堂の横にしつらえられた休憩所でしばらく体を休める。
東京も猛暑が続いていると聞いていたけど、今日は朝からなんとなく涼しささえ感じられ、外を歩いても汗が吹き出ることはない。
それもあってか、境内はカラフルな人ごみであふれんばかり。いつもはなんでもない平日ばかりなので、こんなに人の多い靖国を初めて目にした。

何度かそんな休憩を重ねては、遊就館の展示ブースに戻る。

以前も何度か日記に書いたけど、これらの遺書がほんとうに二十歳そこそこの若い人たちの手で書かれたものだなんて、実物を前にするまではどうしたって思い描くことができない。

彼らとはほんの四半世紀ちょっとしか世代が違わないはずなのに、こんなきれいに落ち着いた文字で、それぞれの戦場でこのような手紙や遺書をしたためた若者たち。

一語一語にこめられた彼らの真の気持ちに触れようとする前に、涙があふれて止まらなくなる。

実物の、重みか。

今回もその重みに耐えられなくなり、とてもすべてを見るなんてできなかった。

いや、それでいいのだと、思う。

ひとの死に様を、そんな簡単にわかったつもりになってはいけない。



遺書・遺影のコーナーを出ると、大型兵器の展示エリアだ。

艦上爆撃機「彗星」を間近に見る。

正面に展示してあるゼロ戦に比べたらふた回りも大きな機体にもかかわらず、複座のコックピットは小柄な私でさえ身動きが取れないような、驚くほど狭い空間だ。

この機体に乗り込み、搭乗員たちはどんな思いで散っていったのだろう。


人間魚雷「回天」の前には、若い搭乗員の出撃前に録音したという肉声が聞けるようになっていた。

ヘッドフォンを耳にあて、再生ボタンを押す。

自らが兵器の一部となって十死零生の特攻出撃をする弱冠二十歳の青年の悲壮な覚悟、親への感謝がやや緊張気味な早口に若さをにじませながら、語られていく。

俺は同じころ、何をしていたんだっけ…。

ハンカチが涙でぐしゃぐしゃになった。



展示ブースの最後の最後、ほとんど人目につかない、というか、人の目をあえて避けるように、本土防衛の任にあたった「五式戦」の残骸である折れ曲がったプロペラとちぎれた車輪がひっそりと置かれてある。

はじめて訪れたときからずっと心に惹かれるものを感じ、これを見ないでは立ち去ることのできないもののひとつ。


これらの軽合金の部品やゴムのタイヤを作ることさえ、戦争末期の国力では至難のことであったに違いない。

B29を迎え撃つために飛び立ったこの機体は、あえなく敵機に撃ち落され、その残骸と遺体はその後すぐにやってきた戦後の混乱の中で忘れ去られ、数十年たってからようやく田んぼの泥濘の中から引き揚げられたものだそうだ。

大きくえぐられた車輪のゴムは、それでもまだ弾力を保っていて、鼻を近づけるとちゃんとゴムの臭いがする。

あの時代の生々しさを鼻腔に感じて、思わずたじろぐ自分。

車輪が「おれたちを忘れるな」と叫んだ。



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Author:smile
わが家のワンコを溺愛する「わんこおやじ」。
本業(写真店)のかたわらワンコ用スイーツも作っています。

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