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南九州 番外編

指宿の山川港近くの道の駅?で見かけたトイレの看板。

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とくれば、


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デザイナーさんのセンスとユーモアに脱帽!



もうひとつ、こんなのも見つけました。



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思いっきり身近な名前を、こんな看板にしていただいて…(笑)




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富屋旅館

案内された部屋は、こじんまりとしたふた間続きの、質素だがよく手入れされた和室だった。

特攻で散っていったわが子のことを尋ねにこられる遺族を迎えるために、昭和27年に富屋食堂とは別棟として建てられたという旅館。

以来この部屋は、いったいどれほど肉親の「想い」を抱えてきただろう。


平和な世に生まれ、あの時代のことをなにも引きずっていない私なんかでも、この部屋が違和感なく迎えてくれたような気がして少しホッとする。



夕食までの時間、旅館の付近を散策してみる。

こんな山に囲まれた田舎に、こんなに端正で静かな町並みがあるなんて…。


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子供のころ、すごく身近だった風景が、すぐ手に届くところにあったりする。

樹齢何百年だろう、大木を幾本も境内に抱えた古刹、豊かな水の流れ、ときおり聞こえてくる薩摩弁の暖かなひびき。


すべてのことをこの街並みが受容してくれるようで、穏やかな心持ちになる。


かつてここに陸軍最大規模の特攻隊基地があったなどと、だれが想像できようか。



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「麓川」と書かれた橋の欄干の両岸には桜並木が連なる。

知覧の桜…ここに住む人にとって、この地に縁のある人たちにとって、桜は特別な意味を持っているにちがいなく、桜自身もそのことをよくわかっているように、早くも花びらがほころんでいる枝が数本。

まだ3月にはいったばかりだというのに、咲き急いで早く散ろうというのか。

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宿に戻り、桜が咲いていたことを告げると、

「知覧は桜の咲き始めるのが早いんですけど、それにしても、もう咲いていましたか…」

と、驚かれていた。


この写真、大切にとっておこう。





桜花の碑

鹿屋基地から出撃した特別攻撃部隊の中に、のちに人間爆弾といわれた小型ロケット機「桜花」パイロットとそれを搭載する一式陸上攻撃機の搭乗員を中心に構成された「神雷部隊」があった。

靖國神社の遊就館にも展示されているこの桜花は、自力では飛び立つことができず、母機に抱かれて攻撃可能な空域まで到達した後、切り離されて目標近くまで滑空し、ロケットエンジンに点火、猛烈な推力で速度を上げながらそのまま敵艦に体当たりするのだという。

空と海の違いはあるものの、人間魚雷といわれた特攻兵器「回天」と発想は同じだ。

切り離された時点で、生きる可能性はゼロになる。


桜花を抱いて飛ぶ攻撃機は、まさに母。

その母が「子」を切り離す瞬間、母機の搭乗員はどんな思いだっただろう。

そこに思いをはせるだけでも、つらくなる。


ただ、そのほとんどが目的を達することができず、敵艦隊のはるか手前で待ち受ける敵戦闘機に母機もろとも撃ち落されたという。






この神雷部隊の隊員たちが宿舎としていた小学校跡(野里小学校)と、出撃の前に基地指令たちと別れの盃をかわしたとされる場所に行きたくて、史料館の方に道順を教えてもらった。

だけど、いくら地図どおりに走ってみても、その場所がわからない。

薩摩半島に渡るフェリーの時間のこともあり、いったんは諦めたが、知覧から戻った翌日、帰りのフェリーの時間まで1時間半ほど余裕があったので、思い切ってもう一度その場所付近まで車を走らせた。

地図でいうと、やはりこの辺なのだが。


細い農道を入っていくと、やがて藪に囲まれた道端の一角にポツンと赤い鳥居が見えてきた。

あった…。

車もすれ違えないほど狭く駐車スペースもない道端に、「朝日神社」と書かれた鳥居とお社があり、その隣に20坪ほどきれいに整備された公園のような場所。

正面に「桜花」と大きく彫られた石碑、ここが別盃の地なのか。

関係者以外の人が訪れるのを拒むように一枚の案内標識さえなく、まるでこの空間が世の中から忘れ去られことを望んでいるかのようにひっそりと佇む。

当時と同じ位置に国旗掲揚塔が建ち、このエリアは自衛隊隊員の手で毎月清掃されているそうだ。

だからだろうか、周囲には凛とした雰囲気が漂い、ありがちな寂寥感は感じられない。




隣の小さな神社との間に、苔むしたお地蔵さんのようなものを見つける。

隣の碑はなんだろうか。無知なのでなにもわからないが、毘沙門天さまを彫っているようにも見えなくもない。

ただはっきりと理解できるのは、長い長い歳月を、この姿のままにこの場所にあり続けているということだけだ。

きっとあの時代、出撃して二度と帰らなかった隊員たちもここにひざまずき、掌を合わせたことだろう。


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私も無心で祈った。

なにか言葉を探すのだけれど、なにも出てこなかった。




南九州


だから少女はその海をみない

初めて心を結びあった

背すじの スラリとした青年の

若い命が沈んでいる海


燃える火をかばいあって

愛することの喜びと

離れていく悲しさに 胸をひたし

ひき裂かれていった その頃の青春


だから少女は その海に行かない

戦いがすぎて

戦いを知らぬ 青年と少女が

裸でたわむれる その海へ


海の底には青年の眸がある

水色のリボンで結んだ 少女の髪を

しっかりと胸の内ポケットに秘めて

国を守るのだと沈んでいった青年の瞳が



...........................


山下千江さんという、大正5年にお生まれになった方が書かれた、詩だそうです(湾岸タイムズ第5号より転載)。



念願だった、南九州。 鹿屋と知覧に行ってきました。


道中に時間が割かれてしまうので、現地にいられたのは正味一日半でしたが、魂をぐらりと揺さぶられるものを幾つも見、出会いました。


この詩に出会ったのも、そのひとつ。鹿屋の航空基地史料館においてあったフリーペーパーの中にありました。

帰りのフェリーで食事中にこの詩を目にしたとたん、涙が止まらなくなって困りました。




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これは6日の早朝、知覧の街外れから眺めた開聞岳です。

黄砂か春霞か、あるいは最近よく話題になっているPM2.5によるものなのか、前日から遠景がかすんでしまっていますけど、これは私がどうしても心に留めておきたい景色でもありました。



手前に広がる地平は、あるときは雑木林であったろうし、あるときは滑走路、そして今は穏やかな表情の畑にと、時代が変るたびにその姿を変えています。

でもはるかな昔から、この場所からはこうして今となにも変ることなく、薩摩富士とよばれる開聞岳の美しい姿は同じように仰ぎ見られたことでしょう。



鹿屋や知覧をはじめ、九州の各基地から飛び立った特攻機の搭乗員たちは、このシルエットを眼下に捉えながら、あとわずか数十分後に迫った自分の「最後の時」と向き合ったのでしょうか。


それが現実のできごとだった、70年前。


そんな昔のことなど想像もできなくなるほど人はドライに生きられないことを、今回の旅であらためて思い知りました。



リタイアしたら

定年のない自営業者にとって、この先何年おなじ仕事を続けられるか…それは長ければ長いほど、体はしんどいだろうが、たとえ1年でも長く仕事に携わっていられることが、精神衛生上とてもありがたいことだったりする。

やれるだけ仕事を続けて、そのあとは僅かな年金暮らしが始まるのだとしたら、その節目には思いっきりのんびりと、羽を伸ばしてみようと思う。


このところ内田幹樹の小説にかぶれてしまい頭の中をボーイング747が飛び回ったりしているが、もし私が将来リタイアしたら、沖縄・八重山群島にある下地島(しもじしま)で1ヶ月ぐらい暮らしてみたい。

宮古島のすぐそばの伊良部島にほとんどくっついているように見える下地島、ここは島のほとんどが国有地で、日本で唯一の民間機訓練用の滑走路を持つ。
エアラインのパイロットたちは皆、ここで一定期間訓練を重ね、やがて操縦桿を任されるようになるのだそうだ。

それでも近年はシミュレーターによる訓練に重きが置かれ、費用のかかる実機訓練は以前に比べてずいぶん少なくなってしまったらしいが。

そんな訓練生や教官たちの宿舎だった建物が、今は一般の観光客にも開放されている。

それが「オーシャンハウス・in さしば」というお宿だ。

エアライン・パイロットたちには思い入れの多い場所なんだろう。

ちなみに「さしば」とは鷹の一種で、毎年10月から11月に本土から渡ってくるのだそうだ。

せっかくだから、どうせ行くならそんな時期にしよう。


ここに1ヶ月。

時計を外して、好きな本を読んだり、浜辺を散歩したり、訓練で離発着する旅客機を見ながら過ごす。

もちろん、インターネットなんか、絶対にしない。


これ以上、素敵なところはないだろうな。

そのころはゆうきもヨボヨボの老犬になっているに違いない。

そんなゆうきをひざに乗せ、遠くから聞こえてくる三線を聞きながらまどろむ昼下がり…。


よ~し、絶対に実現させよう。




私は忘れない

仙台市に隣接する名取市。

ここの海岸沿いに「閖上」(ゆりあげ)という名前の地域がある。

その昔、この浜に観音像が波に「ゆりあげ」られたという故事が、ゆりあげ浜という名前の由来らしい。

なんと美しい響きの地名だろう。


この名前を知ったのは、震災の翌日だった。

テレビの画面に「閖上中学校」と書かれた校舎が大写しになった。

ほかに逃げる場所のない平地にぽつんと建つ校舎。

10数名の在校生が亡くなり、校舎に流れ着いた車の中からは老夫婦が助け出され、生き残った地域の人々が、ここで救いの手がくるのを待ったという。

まさに、修羅場。


そこを、この目で見ておきたかった。




その中学校は、まばらに廃墟となった家の建ち並ぶ、だだっ広い田園地帯の真ん中に、夕日を浴びながらぽつんと佇んでいた。

カシン、カシンと、斜めになった国旗掲揚塔のワイヤーが、風にきしんだ音を立てている、そのほかには何の音も聞こえてこない静寂の世界。

校舎に据えつけられた大時計は、2時46分を指したまま止まっている。



正門を入ったところには、校歌と、「希望の松」と書かれた二つの記念碑が並び、そしてその前に学習机が置かれ、花やジュース類、そしてこの地域の由来のものだろうか、小さな木彫りの観音様が2体、供えてあった。

線香立てには途中で消えた線香が1本。

女房がそれに再び火を点け、弔いを引き継いだ。




一階の校舎の中央を突き抜けて、校庭が見える。

その向こうに夕焼けの逆光を浴びて、漁船が横たわっていた。

なんという残酷な光景…。


校舎をくぐって、グラウンドに出てみる。

足元には、空の灯油ポリタンクが10個ほどと一輪車が、1ヶ所に集められてあった。

「灯油が足りません。電気も、ガソリンも水もありません」という悲痛な叫びが不意によみがえってきた。



目を上げると、打ち上げられたままになっている漁船は一隻だけではなかった。


ここがおまえたちの安息の地ではなかったろうに…。


私は初めてポケットからカメラを取り出し、夢中でシャッターを切った。


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私は、忘れないぞ。

今日、出会ったすべてのことを。




「おかあさん、帰ろう」



遠くても、帰る家があるなんて。

これ以上幸せなことが、あるだろうか。





川の記憶

幼稚園には、よく親父の自転車の荷台に乗せられていった。

大きな川のデコボコ道の土手を、小さな息子を乗せて走る自転車。

スピードを出しすぎて、その荷台からよく息子が転げ落ちていたことを、親父はいまも覚えているだろうか。

いつもハゼ釣りをした、あの川はどこだろうか。あの土手は、残っているだろうか…。



矢本中央幼稚園の園長先生に手がかりを教えてもらい、周辺をぐるぐる回ってみた。


津波の爪あとが、酷い。

住宅街の真ん中や水田にまだ放置されたままになっている漁船。

家々も、よく見ると内部は破壊しつくされているものが多く、人が住んでいる気配はない。


土手のある川を見つけ、その土手に上がって走ろうとしたものの、路面のガレキに混じるガラスが怖くてUターンした。


幹線道路から、その川に架かる大きな橋を渡る。

その橋は、震災後に架けられた仮設の橋で、本来あったものは中央部と根元からそれぞれ10mほどがザックリ流されてしまっていた。

空き地に車を止め、仮設のガードレールを乗り越えて河原に近づいてみる。

荒々しく堆積した土の中から冷蔵庫やら鉄製のフェンスやらが顔を覗かせていた。




遊んだのは、この川だったんだろうか。


はっきりしたことは、あのころの葦の茂った、カニが遊ぶ静かな河原は、きっともうどこにもないとわかったこと…。


警察の遺体捜索の船だろうか、二人乗りの小舟が目の前を通り過ぎる。


なんとなく、このくらいでいいじゃないかという気がしてきた。


あの川の記憶、土手の記憶は、今までどおり、自分の中にしまっておこう。



少し走ると、自衛隊の松島基地が見えてきた。

ここも震災当時、2mの津波が襲い、駐機していたすべての戦闘機などが水没したそうである。

通用門、隊員の宿舎などを外から見て回ったが、私の遠い記憶に共振するものはありそうになかった。


午後3時を回っていた。

帰る前に、どうしても見ておきたい場所が、もう一ヶ所ある。

そこまで約50km。

再び、高速に乗った。




チューリップ

東北へ出発する日の夕方、いつも利用してくださるお客さんから、自宅の庭で採れたというチューリップの球根をたくさんいただいた。

そのとき、ひらめいた。

「実は私、今夜から東北に行くんです。小さいころに今回の津波の被害にあった町に住んでいたことがあって、そのとき通っていた幼稚園のあたりを訪ねてみようと思っています。残念ながら今年の春にその幼稚園は廃園になってしまいましたが、どこか最寄の幼稚園を訪ねて、この球根を役立ててもらうよう、お渡ししてきてもよろしいですか?」

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お客さんは大喜びで私の提案を受け入れてくださった。





カーナビに「矢本幼稚園」へ連れて行ってもらう。

東松島市の中心部、最も古そうな町並みの中に幼稚園の看板が立っていた。

このあたりも一階の天井まで津波が来たエリアだそうだが、8ヶ月たった今、表向きは平穏な日常を取り戻しているように見える。

震災直後に廃園になるはずだった幼稚園は、敷地内に重機が入り、建物はほとんど取り壊されたところだった。

老朽化した園舎は、地震と津波にとどめを刺されたのだろうか。

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園長先生の消息を聞いてみたい…

すぐ近くに交番があったので、そこで一番近い幼稚園の場所を教えてもらい、そして1㎞ほど離れたところにある市立矢本中央幼稚園の門をくぐった。

見知らぬ者の突然の訪問にもかかわらず、先生方は丁寧に応対してくれ、私の話を聞いてもらえた。

「ところで、横山穣二先生の消息をご存知でしょうか? 私、ジョージ先生の教え子なんです」

「ええ、もちろん存じ上げておりますよ。先生は震災のときもご無事だったのですが、園を閉められたあとは、仙台市内にある息子さんの家に行かれ、のんびりと隠居生活を始められたそうです」

それだけわかれば、私には充分だ。先生方の心温まる応対に感謝しながら、幼稚園を辞した。


来年の春、あの幼稚園の花壇には、どんな色のチューリップが花を咲かせるのだろう。


上品の郷

お昼になり、どこかで腹ごしらえしようということになった。

目指したのは、市街地を少し離れたところにある道の駅、「上品の郷」(じょうぼんのさと)。

ここで女房は地元の農産物を買って帰るという。


日帰り温泉も併設しているからか、平日というのに駐車場はもう満杯のにぎわいだ。

日当たりのいいベンチに腰掛け、コンビニのおにぎりをほおばる。

外のテーブルでそばやうどんをすする人、買い物袋をぶら下げた人、ほとんどが普段着で、観光客然とした身なりの客は探すのがむずかしい。

傷んだわが家で暮らす人、仮設で暮らす人、この施設はそんな人たちのよりどころになっているのかもしれない。



その後、女房が直売所で野菜を物色している間に、私は無料の足湯に入ることにした。

黄褐色に濁った、塩辛いお湯。山梨にある「尾白の湯」に似ている。


お湯を囲んでいるのは私を除いて近郊の人ばかりのようだ。

東北弁が、暖かい。


「この足湯も、震災の後しばらくは行列ができるくらい混んだったけども、最近は無料のバスが遠くの温泉まで運んでくれるようになって、みんな山形の温泉さ行ぐようになってさ。ここもずいぶん空いてきたもんだ」

「じっとしてたって、しかたねぇしな。わしら罹災証明があるから高速道路どこさ行ってもタダだから、あっちゃこっちゃ出かけるのさ」

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仙台から来たという76歳と73歳の老人は、お二人とも被災された方なのに、前向きで底抜けに明るいことに、なにか救われ、なにかを教えられる思いがした。


このひとたちの明るさを支えるものは、なんなんだろう。



真っ赤になるまで足湯につかり、老人と別れてから私も直売所で宮城県産の米を買った。

これから向かうのは、東松島市。

幼稚園児のころ、住んでいた町だ。


地盤沈下

なかば放心状態のまま女川町を後にして、石巻市内へ引き返す。

さっき通った道よりも、さらに海岸近くに行けるだろうか。

石巻漁港方面にハンドルを切ると、かつて水産関係の工場や倉庫が並んでいたと思われるエリアに入っていった。

海に最も近いだけあって、流されてしまったか撤去されたのか、従来からの建物と思われるものはほとんど残っていない。

このエリアの信号機は壊れたまま、道路もいたるところで舗装が完全にはがれていて、残った堆積物に混じるガラス片でタイヤを傷つけないように注意して走らなければならない。


車を道路わきに止める。ガランとした空き地には、まだ缶詰が土砂に混じって散乱していた。この付近には缶詰工場があったのだろう。


しばらく歩くとすぐに海岸に出る。

だけど、なにかがおかしい。

本来あるべき護岸は、ずっと沖のほうに見えている。

足元から広がる海、と思っていた場所は、震災前は陸地だったところなのだ。

田んぼよりも深い、広大な"池〝が眼前に広がっている。

足元で小魚が、跳ねた。

これが、地盤沈下という現実。


ダンプカーがひっきりなしに行きかい、運んできた土砂で埋め立てをしている。

再建は、この作業が終わってから、ようやくスタートするのだろう。

「ゼロからの出発」じゃないということだ。


この後、そんな地盤沈下で海水の引かない地域を何ヶ所も目にすることになった。


プロフィール

smile

Author:smile
わが家のワンコを溺愛する「わんこおやじ」。
本業(写真店)のかたわらワンコ用スイーツも作っています。

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